どもども!
お尻が痛くなると分かってても、
辛いものを食べがちな桜井です。
さて、先日の記事でも少し触れましたが、
今回は『ゼロサムゲーム』の話。
【ゼロサムゲーム】
参加者全員の得点の合計が常にゼロである得点方式のゲーム。一方が得点すると他方が失点するため、全部の持ち点の和が必ずゼロになるというゲーム理論。出典:デジタル大辞泉
これを現実社会に置き換えると、
”貧しい人(=負け組)を作り出さないと、
お金持ち(勝ち組)は増えていかない!”
ということ。
もちろん、この意見には賛否両論あるでしょう。
しかし、資本主義社会では「負ける人」がいて初めて「勝てる人」がいる。つまり、誰かに負けてもらわないと、一生勝つことができません。
そのため、
「みんなで仲良く裕福になりましょう!」
というのは、金融の世界では幻想です。

とはいえ、ここで私が言いたいのは、見ず知らずの他人を不幸のどん底に陥れなければいけないという意味ではありません。
重要なのは、
「どう勝つか?」
であり、”勝ち方”を知ること。
以前もお伝えしたように、お金を上手く扱うためには、まずは資本主義のルールやお金の性質をよく知っておく必要があるのです。
そこで今回は、我々が生きる資本主義という”ゼロサムゲーム”のなかで勝ち抜くための術を提示したいと思います。
記事の目次
資本主義の基本的な構造

避けられない壁
先述した通り、金融の世界では敗者がいることによって、初めて勝者が生まれます。
残酷ですが、それが資本主義社会における原理原則なんですよね。
そのため、
「みんなで勝とう!」
「全員で裕福になろう!」
というのは構造上、どんなに頑張っても不可能です。
現実問題、資本主義社会である以上は『全員が勝つ』ということはあり得ない話なのです。

すみません、ついつい本音がポロリしました^^;
話を戻しますが、とにかく既存の資本主義社会においては、全員が平等で豊かな暮らしを送ることはできません。
その理由について、以下で簡単に説明しておきますね。
全員がもし年収1,000万円の世界だったら・・・
国税庁の調査によると、日本人の平均年収は『432万円』です。
そこで、全員で裕福になるために、何らかの策を講じて国民の平均年収を『1,000万円』まで引き上げたとしましょう。
『年収1,000万円』
この額は、一般的な社会人の方々にとって、豊かに暮らすための1つの指標と言ってもいいかもしれません。

しかし、日本国民全ての年収を1,000万円まで引き上げたとしても、経済的な余裕が”一切ない”という状況が実際に起こり得るのです。
それは何故か?
全員がもし年収1,000万円の世界だったら、、、
年収400万円のときに500円のお弁当を買っていた人は、全く同じお弁当を1,000円以上支払って買わなくてはいけなくなります。
なぜなら、平均年収が上がれば、同時に世の中の物価も上昇するからです。
全員の収入が増えるということは、”マネーストック(世の中に出回っているお金の総額)”が増えることとイコールなので、当然お金の価値も下がってしまいます。
そのため、元々500円で売られていた弁当が、その倍の1,000円を支払わなければ買えなくなるという現象が起こるのです。

つまり資本主義社会においては、お金をたくさん稼ぐことよりも、”平均値を上回ること”に大きな意味があります。
言い換えるなら、”平均を上回ることでしか”裕福になることはできず、仮に年収400万円の時代であれば1,000万円を稼ぐことでしか経済的な豊かさを手に入れることはできません。
そして、これが”資本主義=ゼロサムゲーム”と言われる所以なのです。
全員がもし年収20万円の世界だったら・・・
仮に現在のあなたの年収が400万円だったとしましょう。
その場合、あなたがお金持ちになる方法は2つあります。
1つ目は、一生懸命働く、あるいは投資で一発当てるなどして自分自身の収入を上げること。要は、1000万でも1億でも10億でも構いませんが、自力でドーンっと稼いじゃえばいいんです。
そして、もう1つが”全体の平均年収を20万円に下げてしまうこと”。
現実的には難しいですが、現在の年収が400万円のままであったとしても、周りの年収が下がれば必然的にあなたはお金持ちになることができます。
つまり、多くの人を負けさせることで、一部の人はそのぶん平均値より上に行ける仕組みなんですよね。

例えば、学校で金融について教わったことなんてありませんよね?
日本人は外国人と比べて、投資をしている人の割合が極端に少ないと揶揄されることが多いわけですが・・・。
そもそも金融を学んでいなければ、投資をやろうという発想にすらならないと思います。
しかも、国内のテレビで報道されるのは投資詐欺などの悪いニュースばかり。これでは、投資のイメージが悪くなるのは当然です。
一方、義務教育の段階からファイナンスの授業がある『アメリカ』では、日本の5倍以上の投資家人口がいると言われています。

とにかく、これが資本主義の実態なのです。
少し乱暴な言い方をすれば、資本主義というのは『支配するもの』と『搾取する対象』があって初めて成り立つもの。
あなたが本気で富裕層を目指すなら、まずはこの前提を忘れないで下さい。
収入のピラミッド構造について

格差社会
資本主義の年収分布は、『ピラミッド構造』になっています。
年収が高ければ高いほど少なく、逆に少なければ少ないほど多い。お金持ちで経済的な拘束がない人が最も少なく、お金がなくて生活に困窮している人が最も多い、綺麗なピラミッド状になっているんです。
一節によれば、”地球上のたった2%の人間”が全世界のお金の半分を所有している、とさえ言われているんだから驚きですよね。
これも収入が少ない人達、つまり”負け”をいっぱい作ることによって、ピラミッド上層部にいる人達が膨大な利益が得られるという資本主義の基本構造です。
そして、私たちは産まれながらにして、このピラミッドの中のどこかに強制的に押し込まれるのです。

資本主義の原則として、一定数の負けを作らなきゃいけないのであれば、自分の収入を上げて勝ち組に入りたいと思うのは当然のことでしょう。
ピラミッドを登る方法
年収500万円の家庭に生まれれば年収500万円の階層に押し込まれ、年収3億円の家庭に生まれれば年収3億円の階層に押し込まれる。
当然ですが、私たちは親の年収を選んで生まれてくることはできません。
とはいえ、、、
一生同じ階層で生きていかなければいけないかというと、そういう話でもない。
日本には、インドのカースト制度のように親と同じ職業を受け継がなければいけないルールはなく、『職業の自由』があるからです。
親とは全く違う職業に就き、高給取りになることも十分可能ですし、両親の職業や境遇に関係なく、我が道を進むことで経済的に成功した事例は数え切れないほどあります。
でも、必死に収入のピラミッドを登り続けるのって大変だと思いませんか?
そこで私が提案したいのが、階段ではなく『エレベーター』に乗ってしまう方法です。
エレベーター=投資
一生懸命仕事をして、少しずつ年収を積み上げていく。つまり、ピラミッドの階段をコツコツと登っていくのが”労働収入”です。
大半の方が、このピラミッドを登るには階段を使うしかないと思い込み、毎日必死に働いています。

もちろん、仕事を通して社会的な成功や使命感、達成したい目標があるなら話は別ですが・・・。
ひとえに収入のピラミッドを駆け上がるだけなら、何も真面目に階段から登らなくても、最も手っ取り早く”エレベーター”を使ってしまえばいいのです。
そして、このエレベーターにあたるのが、
・投資
・資産運用
です。
労働の対価としてコツコツと収入を増やしていくのに対して、投資や資産運用は労働を伴わないのでエレベーター式に収入を増やしていくことができます。
例えば、一般的には年収1,000万円は高いと思われていますが、投資をやっている人間からすれば年収1,000万円は十分に少ない額。
階段とエレベーターでは、資産を増やすスピードが全く異なるのです。
多くの人が「もっとお金が欲しい!」と望み、必死にピラミッドの登頂を目指しますが、道中は段差も多く険しい道のりなので、多くの人は志半ばで挫折してしまう。
もちろん、ピラミッドの上層へ登っていくためには”労働収入”も大切でしょう。
会社で労働収入を得ながら、社会的な信用をコツコツと貯めて、それをフル活用して資産形成にぶち込む。
当たり前ですが、自分でも働き、同時にお金にも働いて貰いながら、着実に収入を上げていくのが最も安全かつ効率的に資産を増やしていくことができるのです。
最後に
お金を失うリスクと引き換えに、時間と労力をかけずに資産を増やせる。
それこそが、投資の醍醐味です。
投資は階段ではなくエレベーターなので、文字通りカロリーを消費しません。
キーワードは『省エネ』です。
何か新しいことを始めるわけでもなく、
思い切って起業するわけでもなく。
今持っている武器を最大限に活かすことが、カロリーを消費せずにピラミッドを登る効率的なやり方です。
こんな話をすると、
「自分は普通の会社員なので、武器とか何もありません!」
という声が聞こえてきそうですが、とんでもない。
会社員の方々は最強の武器を持っています。
それは『社会人としての信用』です。
信用で投資資金を引っ張り、そのお金を運用してお金にお金を生んでもらう。
それが、最も手っ取り早くエレベーターに乗る方法です。
では、社会的信用を使って、具体的にどうやってお金を生み出すのか?
この辺りの話に関しては、こちらの記事で詳しく書いていますので、ぜひ併せて読んでみて下さいね。
以上、最後まで読んでくれてありがとうございました。